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メノトミーからチャールズタウン

イギリス軍がケンブリッジに入ると、戦いは激しさを増した。新しく加わった民兵は散開陣形ではなく密集陣を採っていたので、パーシーはワトソンズ・コーナーと呼ばれる交差点で大砲と分隊を使い、民兵に大きな損害を与えた。

その日の早くにヒースはグレート・ブリッジを取り壊しておくよう命じていた。パーシー隊はこの壊された橋に差し掛かって、川の堤が民兵に占拠されているのを確認すると、チャールズタウンに通じる狭い道(今日のポーター広場に近い)を選んだ。この時の民兵は約4、000名に達していて、このイギリス軍の動きを予測しておらず、囲みが崩れた。民兵の1隊が道を見下ろすことになるプロスペクトヒル(現在のサマービル)を占領しようと動いたが、パーシーは大砲の最後の弾を使って彼らを追い払った。

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セイラムとマーブルヘッドから新たに民兵の大きな部隊が到着した。彼らはパーシーのチャールズタウンへ向かう道を遮ることもできたが、ウィンターヒルの近くで留まり、イギリス軍の逃避行を許してしまった。この部隊の指揮官ティモシー・ピカリング大佐は正規軍を完璧に打ち破ることを避けておけば、まだ戦争は回避できるという期待を抱いており、それ故にイギリス軍の通過を許したのであるが、後にこの行動を非難する者がでてきた。ピカリングはヒースの命令で部隊を停止させたと主張したが、ヒースはこれを否定した。イギリス軍がチャールズタウンに入るときパーシーの後衛にいたピトケアンの海兵隊が最後の攻撃を凌いだ。この時夕闇が迫っていた。正規兵は丘の上の防御に適した場所に陣取った。2日間寝ていない者もいたし、40マイル (65 km)を21時間の間に行軍し、最後の8時間は戦闘の連続だった。しかし今のイギリス軍は日没を前にして高い場所に陣取り、しかもイギリス海軍の艦船HMSサマーセットの大砲による支援も期待できた。ゲイジは予備隊にしていた第10、第64の2個連隊の歩兵中隊を素早く送り出し、チャールズタウンの高台を占拠して防塁を造らせた。この防塁は完成することなく、2ヶ月後の6月に行われたバンカーヒルの戦いで、民兵達が工作を始める地点となった。ヒースはイギリス軍の取った位置取りを検分し、民兵をケンブリッジに引き上げさせることを決めた。

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2009年04月30日 10:57に投稿されたエントリーのページです。

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